2019-01-18

怒りと悲しみ (01-0001-001)

昨日生じた怒りをなかなか解くことができない。それは深い悲しみを伴っているからだった。
そもそものきっかけは私自身が引き出してしていた。
職場で会社に入るためにどのような募集に応募したのかという話になっていた。Wが求人サイトに登録してから、もともとはウェブデザイナーという職種での応募だったと言った。Eも同じだと言った。
たしかに二人はほとんど同じタイミングで入社したと記憶している。

「その時、販売をやっていた経歴のせいで販売じゃだめなんですかって散々言われたんだよね。それだけ販売の仕事はいっぱいあるんだ。なんで、嫌かって、販売って疲れるんだよ」
「俺もはんばいは無理だな。二日で辞めちゃうよ」
私はそこで初めて会話に加わった。
「Tさん、会社にお客さんが来るといつも必死ですもの!」Yさんがそう声を張り上げてから、高笑いをした。
「前、お客さんが来た時も『はい!』とか『いいえ!』とか」私のものまねをして彼女は笑いをこらえていた。

私は全員の前でばかにされたと恥辱を感じて、俯くだけだった。それから私は嫌な気分になって、一日彼女の言葉をこころのうちに繰り返していた。 彼女の言うとおり、私は人付き合いが苦手である。だから、なるべくなら人に会いたくないし、会社でも外出があると緊張して、どんな話をしようかと不安になる。ただ、そのことで、大きな失敗はしたことがないと思っていた。仕事で必要な最低限のことが話せないほど病的な対人恐怖というわけでもないし、ただ苦手だという位のものだと最近は感じていた。 だから彼女の言葉というのは、私のアイデンティティを揺るがす、衝撃的な一言であった。
私がなんとか乗り切り、改善されて来たと考えて来た弱点がまったくといっていいほどそうではなかったということを職場の同僚の全員の前で、彼女は高らかに宣言したわけである。 これで引きずらないほうが難しいと言わざるを得ない。

今の仕事では対人的な問題は重要である。さまざまな折衝が毎日のようにあるし、実際私も問題なくできていると思っていた。それが 「問題なくできている」と思っているのが自分だけであるとしたら、どれだけばかなのかと自分を責めたくなる。
そして、ここまできていったいどうすれば改善をはかれるのかと途方に暮れる。

年齢も無関係ではない。36歳という年齢から小さな絶望の萌芽を見ても無理はないように思う。日々の仕事の積み重ねで徐々に弱点もなくなって行くという、つまり成長を期待することができなくなってしまう。

この悩みの歴史は長い。中学生の時にはすでに明確に自分の限界を感じていた。自分が社会に出ることへの大きな不安。妙なシーンであるが私は現在も住んでいる家の浴室でシャワーをあびていた。 まだ日中のことで、曇りガラスの向こうからあたたかな陽射しが注がれていた。なんでもないシチュエーションであったのに、私は突然その悩みの大きさを手で触れた位にはっきりと感じた!
そして、恐怖に慄いた。こんな自分がどうやって身も知らぬ人々で溢れた社会で生きていけるのか。それは具体的に列挙することのできないほどの私をとりまいていた全ての事象から直感した、自分の性質の把握と絶望だったに違いない!

私はその時の自分の結論を現実で覆すことができなかったのだ。 私はやはり今窓辺に立ち、まったく同じだとは言えないが、以前のそれにずいぶん近い感情を抱いて佇んでいる。 そうして、私は自分に直接手を下したYに複雑な感情を抱いた。彼女は冗談で言ったことで、私を傷つける気もなかったし、私が傷ついてることに思いを及ぼすことはないだろう。 正直怒りも感じる。だが、単純に怒りをぶつけられるほど、感情の根源が浅くにない。

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